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ヒアリング及びフィールドワークの内容

フィールドミュージアム事業の地域づくりと鹿瀬・草倉銅山見学

新潟県は、2005年6月、新潟水俣病40年を契機に「ふるさとの環境づくり宣言」を発表し、2007年に、県・流域市町やNPO法人、地元の方々からなる検討会を結成して「フィールドミュージアム事業(FM事業)」が、スタートしました。

FM事業では、流域行政・民間・流域住民が一体となって新潟水俣病と向き合いながら阿賀野川流域地域の地域づくりに取り組んでおり、その実践として、「ロバダン」(地域の人たちとの炉端談義)、イベント(地域再発見講座、パネル展)、情報発信(紙芝居、ニュースレター、ブログ)、環境学習(プログラムづくり)に取り組んでおり、それらの事業について、15名ものスタッフがフィールドを体験しながら紹介をしてくださいました。

1日の流れ 52fw3

紙芝居『草倉銅山物語』の観賞や、銅山跡地の見学では、「鹿瀬では明治期に草倉銅山という銅山が栄えていた」という史実を楽しみながら知ることができたものの、移動中のバス車内では、「なぜ私たちが草倉銅山を見学するのか…」という疑問の声や、「草倉銅山は、新潟水俣病といったいどんな関係があるのか」と、困惑した様子の参加者もありました。昼食時や移動中にFM事業の説明を受けたものの、自分たちの目的である「新潟水俣病を学ぶ」ことと、どう関連づけて理解すればいいのか、とても戸惑っているようでした。しかし、旧昭和電工鹿瀬工場の外観や排水口など、「新潟水俣病」と直結しているスポットでは、説明を聞きながらメモを取ったり、地図で場所を確認したりしながら見学するなど、積極的な様子でした。午前中の近さんのお話と重ね合わせながら、より「新潟水俣病」を実感しているように見受けられました。

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行程の最後に、昭和電工鹿瀬工場の社宅が明るくにぎわっていた頃のデジタル写真集(「昭和電工㈱鹿瀬工場社宅 ハーモニカ長屋から眺めた風景 写真で綴る鹿瀬・昭和電工・阿賀野川」)を観賞し、FM事業が、阿賀野川流域の「光」(草倉銅山の繁栄、昭和電工による鹿瀬町の発展)にも「影」(新潟水俣病)にも向き合い、地域づくりをしようとしていることが、徐々に実感でき始めました。

またD班の対象が、他の班に比べ“地域再生”の扱いが大きいため、高野秀男さん(新潟水俣病共闘会議)から、「地域再生と被害者救済はワンセットでなくてはならない。FM事業でも、この2つのバランスを取るべき」という発言もありました。

感想発表

阿賀町役場鹿瀬支所から宿舎に戻るバス車内で、一人ずつ感想を述べました。「新潟水俣病を昭和電工の側から見るという新しい視点が得られた」「公害という問題に対して、自分がいかに関心が無かったかを思い知らされた」「鹿瀬の町の人々の想いも聞いてみたい」などの声が上がっていました。

また、参加者からの「FM事業を通して、新潟水俣病に対する差別・偏見は少なくなったか」という質問に対しては、「FM事業によって劇的に変化があったということは、ひいき目に見てもまだ無い。しかし、『差別・偏見』の一方で、実際に地元に入って、ロバダンなどを通して色んな人と話し合うなかで、『差別・偏見』とはまた違う、色んな感情、さまざまな感じ方があるということが、少しずつ分かってきた」と、同行された新潟県職員がお答えくださいました。

さらに、「写真集のなかに、『新潟水俣病』という言葉が(※新潟水俣病公表の新聞記事が映される以外は)出て来なかったが、それはどのような意図か」という質問がありました。同じく職員の方からは、「今年3月に地域再発見講座でこの写真集を初めて上映する際、その講座のチラシに、『新潟水俣病』という言葉を使うのは、鹿瀬の町の人々にとっては、ちょっとまだ早いんじゃないか、という声があった。そういう経緯も関係している」との説明がありました。その上で、「FM事業は、鹿瀬の町の人々とキャッチボールし合って、近づいている雰囲気がある。キャッチボールしている距離がどんどん縮まっている。多分、縮まれば縮まるほど、『新潟水俣病』の様々な面を伝えやすくなるのではないか」との展望を話されました。

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