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ヒアリング及びフィールドワークの内容

波多野 孝さん(小学校教員/新潟水俣病教師用資料作成委員会)の話

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波多野さんのお話は、まだ水俣病教育が特別視されていた時期から熱心に手探り・手作りで授業を実践されてきたこと、ここ5年で水俣病教育を取り巻く環境が変化してきたこと(知事の「ふるさとの環境づくり宣言」以降、水俣病教育がしやすくなった)、教員みんなが新潟水俣病を指導できるような指導案づくりに取り組み、それらが全県の小中学校に配られるようになったことなど、波多野さんの「子どもたちに新潟水俣病を伝えたい」という想いが、ひしひしと伝わってくる内容でした。

また、波多野さんが「新潟県に生まれた以上は、新潟水俣病を知らないといけない。それは義務だと思うんです。新潟県での水俣病教育は、本当にこれからなんです。」と力強く繰り返しおっしゃった言葉が、メンバーの心に強く残ったようでした。

さらに、メンバーの問題意識を大きく前へ進めたのは、波多野さんが、子どもたちに一方的な見方(企業が悪い、鹿瀬が悪い)だけを指導してはならない、と言われたことでした。「地球規模で考え、足元から行動せよ」というスタンスで子どもたちに指導しているというお話を聞き、「新潟水俣病を伝えるために、自分たちが出来ること―抽象的なことではなく、具体的な、本当に自分が出来ることを考えよう。」という意識が芽生えていきました。

質疑応答(抜粋)

…新潟水俣病には光と影があるとのことですが、企業を責めるのは簡単で、みんなもある意味加害者だというお話について詳しく教えてください。

「石油からプラスチックを作る前の時代、その時は、石灰岩があって、電力も保証されていて、人件費も安い鹿瀬で、それを作っていたんですよね。ちょうど高度成長期、そういう生活が良くなる物を、私たちが求めていた時代―その時にチッソがあって、昭和電工があったんです。そして我々は、それによって暮らしが良くなってきた。そういう意味では、『需要と供給』ということですよね。実は私たちも、チッソや昭和電工が製造したものを使っていたんです。それで便利になった。それなのに、そういうものを作って公害を起こした企業だけを責める、それでいいのかな、と思う。私たちも恩恵にあずかってきた、生活が便利になった―そんな想いを持っておかないと。恩恵を受けていた私たちだって、下手すると加害者の一人になる。加害の一端をどこかで担っていたのかなと思う。企業を責めるのは簡単―実際に悪いことはしているんだけれども。でもそれは誰かが求めたから―それは我々人間なんだよ、という側面も忘れてはならない。この指導案にも、その視点は外せなかったんですよ。」

「私たちがいま生きているのは、被害を受けた人たちの犠牲の上で生きているんだということを、押さえなくてはならない。批判だけからでは何も生まれない、先を見ていかないといけない。そのためには、子どもの時から、色んな見方をさせていかないといけない。一方的な見方を指導者がすると、子どももそうなってしまう。子どもたちが『あの時は、水俣病が起こってもしょうがなかったんだ』と思うのが一番怖い。下手な授業すると『しょうがない、でも今はそんな公害が、病気が無くて良かったな、私たちは関係ない』と思われる。水俣病は、差別する側とされる側があって、される側のなかでも、また差別がある。例えば認定患者と未認定患者。もう一つは、裁判で原告になっている人となっていない人。そこでもまた差別がある。そういう複雑な構図があるわけです。その辺も、新潟県特有の人権問題です。色んなところに行っても、『新潟水俣病』を言いやすい環境になってきた。さっき言ったように、本当に『これから』なんですよね。新潟県の教員が、私を利用してくれればいいと思う。私は、新潟水俣病の授業をする『特別な』先生だなんて言われるんですけれども、でも、新潟水俣病の授業をやっていることが『特別』なのがおかしい、『普通』にならないとおかしい。」

…新潟県の教員の、新潟水俣病への関心はどのくらいありますか。

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「中学校の社会科の教員は、わりとあると思います。教育系大学出身の小学校教員は、こういう公害とか環境問題を、大学で深くやらないでしょ。知っていても、興味関心というところまでいかない。いかんせん小学校の教員は忙しいから、5年生の社会科の単元で公害が出た時に、四大公害のなかで特に新潟水俣病に力を入れて教える時間的な余裕も無い。『教科書を』『書いてあることだけを』教える先生がほとんどじゃないですか。それで精一杯。でも結構、小学校の教員も研修でふれあい館に来ているんですよ。でも来て終わりだと思う。ビデオを見て語り部さんのお話を聞いて、それで終わり。授業に活かそうというのは難しい。私の周りで新潟水俣病の授業をやっている教員はほとんどいない。地球温暖化とか砂漠化とか、そういうのは教科書に丁寧に書いてあるんだけれども、新潟水俣病のことも熊本水俣病のことも、ほとんど書いていない。それを『教材』にまで持って行くのは、ほとんど不可能だろう。だから、指導案を作る運動をやった。だから、これからなんですよ。新潟県は、これから始まるんです。この指導案が全県に配られて、義務教育課の後押しがあって、本当に指導案を実践してくれて、やっとこれから始まる。」

…実際、阿賀野川流域の子どもたちは、おじいちゃんおばあちゃん、親の世代から話を聞いて、偏見や差別を持っていたりするのですか。

「今はそんなことはないと信じているんですけれどもね。阿賀野川は長いから、市町村で温度差があるんです。それが阿賀野川の、新潟水俣病の難しさなんですよ。熊本の水俣は、湾じゃないですか。水俣市全体が侵されたので、水俣市全体で再生しようという気運がある。新潟はそれが無い。患者さんが多かった河口では、そういう運動が盛んだけれども、上流へ行くと原因企業があるところではなかなか出来ないという温度差がある。鹿瀬に勤めていた教員の話を聞くと、水俣病のミの字も出せなかったよ、と。でも今回、この指導案がきっかけになると思う。県が、これをやりなさい、やらなきゃだめだよ、って言っているんだから、鹿瀬もやらなきゃいけないんです。今までは、そんなことをやったら特別な目で見られた。でも、『県がやりなさいと言ったからやる』というのは、一つのきっかけになりますよね。だから本当にこれからなんですよね。この指導案のベースには、『新潟水俣病は大きな財産なんだよ、知らないでは済まされない』というのがあるんです。最初は、誰でも出来るかな、くらいの、不完全なもので指導案を提示している。だから、先生もこれを見たら、やれると思います。手近なもので出来るようになっていますから。マニュアルです。県外から新潟県の教員になった人でも出来る、というのがコンセプトになっています。」

…水俣病の授業に対する保護者の反応はありますか。

「授業に対する保護者の反応は特にありません。ですが、今尋ねられて、5年前から県が主催している、水俣市との交流事業での保護者の反応を思い出しました。私は、最初の年に交流事業の引率をしたのですが、参加する子どもを選ぶにあたって、親の了解を取らないといけない。親と面談をすると、最初は『え、水俣?熊本?』という雰囲気だったんです。でも帰って来てから変わるんです。まず子どもが変わりますよね。現地行ってこんなの見た、こんなの聞いたと、それが親に伝わるんですよね。すると家の中で、水俣病や公害に関しての会話が出来るようになる。それで、今まで気にとめなかった、水俣病を取り上げた新聞記事だとかテレビだとかを親も見るようになる。親はなかなか変わらないけれども、子どもたちが授業を通して『水俣病を知る』というだけでもいいかなと思う。将来ある子どもたちのために頑張っています。」

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