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西淀川大気汚染の概要

大阪の中心部に近い西淀川区は、都市に住む人々の食を支える農業、漁業の町として栄えましたが、産業革命以降、阪神工業地域の一地域として工場が建設され、工業の町と様変わりします。大阪と神戸をつなぐ場所に位置するため、大きな道路も数多く建設されました。

戦後の高度経済成長によって、典型7公害(水質汚濁、大気汚染、土壌汚染、悪臭、騒音、振動、地盤沈下)が全て見られる「公害のデパート」状態となりましたが、特に大気汚染はひどく、地形的に大阪湾の一番奥に位置しているために尼崎と此花・堺の大工場の煙が西淀川に集まります。その上、道路を通過する大型ディーゼル車の排気ガスも多く、工場の煙と混ざり複合大気汚染となりました。四日市と川崎と共に公害健康被害補償法の前身である、公害に係る健康被害者の救済に関する特別措置法(1969年)の最初の指定地域となりました。これまでで西淀川区だけで累計7000人を超える人が公害病に認定されています。

四日市公害訴訟の原告勝訴の判決を受けて、公害の削減と患者の権利を守る事を求めて公害の患者会を結成します。その後、工場と自動車汚染の改善を求めて、工場を運営する企業群と道路を管理する国を訴える裁判を起こします。これまでの公害裁判と違うのは、726名という大人数で提訴したこと、「公害被害者による西淀川再生プラン」を描き、地域再生を訴えたことが挙げられます。その結果、裁判は20年間という長い時間がかかりましたが、国と企業に勝訴をして公害地域再生のために「あおぞら財団」を立ち上げて、地域再生活動に取り組んでいます。

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